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Happy Fancy Arts

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デッサンは本当に役に立つの?私の体験。

前にデッサン教室に通った時の体験

 

アートやイラストにデッサンの技術が絶対必要とは思いません、

魅力ある絵って、「正確」ってことじゃないからね。

 

物や人体がある程度正確でなければならないのは

ぶっちゃけ「エロ」のジャンルだけだと思います。

正確さにこだわる人がもしいたら、

たとえ本人が意識していなくても、

絵やイラストを、ある程度エロとして見ている人だと思います。

歪みや異常があると一気にエロから「アート」や「シュール」の方向に傾いてしまうので

「そうなってほしくない」という意味でダメって言いたくなるのはわかる。

もちろん「シュールなエロ」というジャンルもアリだと思いますけども。

 

それで私の体験ですが、

 

中三の春休みでした。

当時イラストを描くという発想は全くなく、授業中に落書きする程度

真剣に描きたいものも特になかったのですが、

あるとき親が「この子は才能がある」と言い出し

一時期デッサン教室に通わせてもらっていました。

 

そのころ同じ理由で突然バイオリンを習い始めた子がいるんだけど

辞めた後は、バンドの追っかけになりました。

なので、親は「自分の好きなもの」を押し付けてもべつにいいと思います、

伝統を否定して新しい文化が生まれたように、

押し付けられたものを否定したとき「本当の自分」や「新しい自分」が見えてくることもあるから。

 

それで教室では、たとえばテーブルの上に果物とか剥製とか

それならまだしも、白い円錐形や円柱やビール瓶とか、ガラクタにしか見えないものがランダムに置かれていて

「さあこれを描きましょうね」

とか言われるわけです。

クロッキーじゃなくガッツリ色塗りまでする課題が円柱ですよ。

私は正直思いました。

「ハア!?なんであたしがこれを描かなきゃいけないの!?」

「この物体があたしに何の関係があるの?」

「どうでもいいんですけど」

 

しかし他の生徒さんたちは

黙って、言われた通り、それを描くわけです。

べつに一銭にもならないのに

というかむしろ授業料を払って、探せばそこらに転がっていそうな物体を描かせていただくわけです。

異様な光景でした。

「この人たち、何やってんの!??」

「理解できない。変。怖い」

 

(でもこれはある意味事実です。円柱や円錐形を喜々として何時間でも描ける一種のマニアや変態だけが課題をこなして生き残り、芸大とかに行けるのです)

 

私は円錐形とかビール瓶の絵を見て萌えたり興奮したりは、残念ながらできません。

「BLでおなじみの男〇器はようするに円柱と半円なのね。だからこの練習には意味があるのだわ」なんて発想も当然できてません。ていうか若干15歳でそこまで考えられる子がいたらすごい。

 

先生が喜んでくれるのかっていうと、先生だってべつに円錐形が好きなわけではありません。勉強のために用意しただけだし。

親が喜ぶのか? 友達が喜ぶのか?

いや、円錐形を描いて喜ぶ人は自分自身を含め一人もいない。

じゃあなんであたしはその円錐形を描かなければならないのか?

頭ではいろいろな説明はつけられるかもしれませんが

体は一ミリも納得できていない。

 

納得できるのはたとえば、

自分の好きな「魔女の〇〇ちゃん」を描こうとしたら、そのキャラクターはたまたま円錐形の帽子をかぶっており、どうしても円錐形を描くことが必要になった。ああ、円錐形が上手く描きたい!

とか、そういう動機がある時だけなのです。

 

自分がそうだったので、

私は、興味のないものを練習でダラダラ描くくらいなら

好きなアニメキャラでもなんでもいいので

ちゃんと対象に愛をもって、楽しく描いてる方がよっぽどマシだと思います。

 

教室だから先生の指導や講評などもあったはずだと思いますが

申し訳ないけど、ぜんっぜん覚えてません。

ただ「絵を描くとは、何かを見て描くことなんだな」と学習したので

参考図を集める手間を惜しまずきちんと時間やお金を投資する、という習慣はできました。

見ないで描ける人や抽象的な絵ならそれさえも別に必要ないのですけどね。

 

方法や道は、人の数だけあるはずだから、

「こうでなければダメ」

「こんなふうに勉強しないとダメ」

「こういう過程を踏まなければダメ」

という思い込みは、本来いっさい要らないはずです、

 

たとえば、こんな私みたいな人間でも、何か創作できるのか?

 

「べつに絵描けてるじゃん」と思っていただけたのなら

「練習しなくても絵描きになれるのか?」という私の実験は

成功したことになりますよ。