Fish & Paintings Diary

アクアリウムとアクリル画

それほんと?「○○になるには、××でなければならない」

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つたえたいこと

 

お金持ちになるには、こんなことができてこんな人でなければならない、とか

この職業に就くには最低限これとこれが必要である、とか

 

空欄に入るものはなんでもいいですが、

何か欲しいもの、なりたいものがあったりするとき、

この類のことを言ってくる人がいます。

 

信じちゃダメなのです。

 

私はすぐ信じる子なので、たくさん信じて、たくさん失敗しました。

失敗したというより、やる前からあきらめてしまうのです。

自分がその○○の条件を満たす××に該当しないので「ならあたし無理じゃん」「だったらもういいよ」と、背を向けてしまうのです。

そうすると、自分の居場所はどんどん小さく狭くなってゆきます。

 

その前に、

「本当に××でなければ○○になれないのか?」

と、疑ってみたらどうでしょう。

 

○○になるには、このくらいのことができなくてはならない。

○○を手に入れるには、こんなことができてこういう人でなければならない。

 

そのように言っている人は、どんな根拠があるのかわかりませんが

その人だって、この世のすべてを知っているわけではありません。

 

世界は広いのです。

本当に本当に広いのです。

たとえ自分より賢そうだったり、年上だったり、物知りに見える人でも、一人の人間の知識なんて、大海の一滴です。

「その分野で長く活動している」「だから知ってる」

けれども、世界は次から次へと移り変わります。

「今まではこうだった」と話すことはできても、予知能力者ではないので

完璧に未来がわかる人はいない。

 

にもかかわらず、誰かの言った「××でなければならない」を信じてしまうと、私みたいになります。

 

人間には認知バイアスというものがあって、

何かを信じたときから、それが正しいという証拠を、脳が自動的に探し始めるそうです。

「あいつはイヤな奴だ」と思うと、その人の悪いところばかりが見えて、良いところが見えなってしまう、みたいな。

 

何かを信じると、その信念から外れた情報が入ってこなくなる、

つまり

「○○になるには××でなければならない」を信じたとき

「××を持っていないのにもかかわらず、○○になった人」の存在が見えなくなります。気づかずにスルーしてしまいます。

 

単純にスルーするだけならまだしも、何かの拍子に目に入ってしまうことがあります。

すると今度は、すごく腹が立つのです。

 

「何あいつ、部屋が汚くてゴミ屋敷みたいになってるくせに、めっちゃお金儲けてる!掃除と整理整頓ができない人は社会的にもダメだって本に書いてあったのに!なんであんな人が上手くいってるの?ズルい。許せない!」

 

とかいう具合に、勝手に腹が立ちます。

 

もっと冷静に「まあ、あの人は例外だよ」ということで処理するかもしれません。

 

でも、もし自分が格言を信じて疲れてようが何しようが毎日いっしょうけんめい掃除をがんばっていたら、とりあえず腹が立つと思います。

 

もしくは「あたし掃除なんてできなーい」「部屋が汚い子は仕事も恋愛も金運もダメになるんだって。あっそう、じゃあもう何も要らないからいいもん!」と開き直っていたとしても、やっぱり腹が立ちます。

 

自分はあきらめてしまったのに、その人は、諦めなかったからです。

 

その人も「部屋が汚い人はダメ」と、どこかで聞いたことがあるのかもしれませんが、ただそれを信じなかったのです。

 

「そういう考えもあるんだね」

「でも自分には関係ない」

「自分はダメじゃない、こんなに良いところもある」

と信じ続けたから、

人の言うことを鵜呑みにしなかったから、

なりたいものになれたのです。

できない部分があっても、きっと誰かが助けてくれるのです。

 

とにかく私は、自分の常識や思い込みに反する形で望みを手にした人に対して、

「あんなのズルい」と理不尽に腹が立つような、イヤな人間になりたくありません。

 

もちろん犯罪や詐欺みたいなことは別ですが

ただ本人が、一般的に不可欠とされていたある資質を持っていないけど幸せになったとか成功したとかいうだけのことなら、

フツーに「よかったね」「そういうこともあるんだね」と言いたい。

 

だから、

「こうしなければ」

「こうでなければ」

「こんな条件を持った人しか○○になれない」

そういうことは、信じないことにしました。