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年末年始のお知らせ

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こんばんは・・・|д゚) ホラー風で失礼します。

 

年末年始のお知らせは、とくにありません。

いつも通りご注文受付中です。

 

ご依頼あれば時間つくりますし。

何もなければのんびりするし。

 

aryoshka.hatenablog.com

 

 

ところで私、以前なにかで読んだか聞いたかして

すごく印象に残った言葉があって。それは

 

大人になって、時間がない&お金がないという言葉はみっともない。

時間もお金も、「あるかないか」じゃなくて自分が「つくる」ものだから・・・

というのです。

なるほどなーと思ったので、以来なるべくその二つの言葉は言わないようにしました。

 

不思議なもので、言わないようにしていると

気がつけば時間もある。お金もある

なんだか知らないけど、無限にある。

 

でも待てよ?時間が無限なはずがない

なぜなら、人間は誰でも寿命があるんだから。

それでも、たとえ同じくらいの寿命で平等に時間を与えられた二人がいたとしても

一人はいつも「時間がない、ない」と言っている

もう一人はいつも時間がたっぷりある

そういうことはあると思います。

 

なぜそこに格差が生じるのだろう、

与えられた時間はどちらも同じはずなのに?

そのくらい主観的な問題ということなのか?

 

それなら私は、

いつも時間がいっぱいある

好きなことをする時間が山ほどある人になりたいです。

もうなってるといえばなってるかな。

 

それが自分の選んだことなら、

やはり「私が時間をつくった」ということになるのかもしれませんが

私の感覚では、そうではなく、石油か水脈みたいに

「あった」というか「見つけた」という方が近いのです。

 

無限の時間はずっとそこにあるんだけど、

たまに見えなくなってしまったり

周囲に洗脳されて「ない」と思い込んでしまったり、

 

あと「やりたくない」を「時間がない」や「お金がない」に置き換えて、言い訳をしていると

最初は単なる言い訳だったものが、自己暗示にかかって

いつのまにか本当になってしまうんじゃないかという気がします。

「時間やお金がない」んじゃなくて「やりたくない」は「やりたくない」だと、

もっと言えば「失敗したらヤだから時間がないことにしておこう」とか「〇〇やりたいとか思ってるあたしカッコイイだろ?」程度のことなんだと、

最初からちゃんと認識してれば、

案外「あー、なんだあたし時間あったわー」ということに、なるかもしれない。

 

ちなみに最初の、あの言葉を「才能」に当てはめると

「才能は、あるかないかじゃない!自分でつくるんだ!あるとかないとか言って甘えるな!」

ということになるのですが、

それはそうかもしれないけど、

私は、才能もやっぱり「見つける」だと思うのです。

べつに才能ないよ?というのは見つかってないか見えなくなっているだけだと思います。