どんな結末もOK。幸福な死角「三匹のヤギ」
こないだ友達と話してたんだけど、
「三匹のやぎのがらがらどん」
という子どもの絵本があるじゃないですか。
うちにも一冊ありました。
ちなみに決してかわいらしい絵とは言えず
私は子どもの頃、あの絵があまり好きじゃなかった(^^;)
大人になると器が広くなるのか?
今なら「独特の線使いでなかなか迫力ある良い絵だな」と思えるんですけどね。
三びきのやぎのがらがらどん アスビョルンセンとモーによるノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ) [ マーシャ・ブラウン ]
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で、このストーリーを、私は
「なんか、すごいお腹すいてて
めっちゃヤギ食べたかったんだけど
小さいヤギで満足しておけばよかったのに
欲張ってデカいヤギに挑戦しようとしたら
返り討ちにあってけっきょく一匹も食べられずに終わった話」
というふうに記憶していて
要約すると「ズルいヤギの口車にのせられて大失敗した話」
「身の程をわきまえずに欲張ってはいけないよ」という教訓なのだろうなーと思っていました。
ところが、友達はこの話をまったく違ったふうに記憶していて
なんと!これは「ヤギが主人公のハッピーエンド」だというのです。
私は「ヤギを狩ろうとしたトロルの失敗談」
として記憶していたので
当然バッドエンドだと思っていたし
「せちがらいな」「子どもへの教訓とはいえイヤな話だなー」
と思っていました。
として記憶していたので
当然バッドエンドだと思っていたし
「せちがらいな」「子どもへの教訓とはいえイヤな話だなー」
と思っていました。
べつにさ~ ビッグな獲物、狙ったっていいじゃない。
ちょっとは夢見させてよね~(´-∀-`;)
でもヤギの目線で考えると
「狩られなくてすんでよかった♪」
「無事に目的地にたどりついて、良い草を食べました」
というわけで
そうかハッピーな話だったのか・・・°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
あ、でもちょっと待ってよ。
ヤギってものすごい大食いで、草を根こそぎ食べてしまうことで有名なんだよね。
なのでヤギが大繁殖すると、その土地は草木の生えない不毛の地になってしまう
けっこうな環境破壊力を持った生き物です。
ヤギってものすごい大食いで、草を根こそぎ食べてしまうことで有名なんだよね。
なのでヤギが大繁殖すると、その土地は草木の生えない不毛の地になってしまう
けっこうな環境破壊力を持った生き物です。
ようするにヤギの天敵であるトロルは、山の緑を
ヤギに食い荒らされないように守ってたようなものじゃないの?
ヤギに食い荒らされないように守ってたようなものじゃないの?
山の植物はヤギが来ちゃって大迷惑!
やっぱりバッドエンドかもしれない!?
やっぱりバッドエンドかもしれない!?
というふうに、なにか一筋縄ではいかない話。
「植物」「ヤギ」「トロル」という三者が
それぞれ独自の目的をもってぶつかり合っている状態です。
それぞれ独自の目的をもってぶつかり合っている状態です。
誰が得をしても、別の誰かが損をしてしまう悲しい結末。
みんなが公平にハッピーになることはできないの・・・?
でも言い換えれば、誰が損をしたとしても
別の誰かは必ず幸せになれる。
別の誰かは必ず幸せになれる。
物語ではヤギが無事だったからヤギがハッピー。
でも、たとえヤギが食べられちゃったとしても、トロルがハッピー。
ついでにヤギに荒らされずに済んだ植物もハッピー♪
ついでにヤギに荒らされずに済んだ植物もハッピー♪
そうすると「どの角度から見ても完全な不運」とか
「完全な失敗」なんて存在しないんじゃないかとも思えてきます。
「不幸って思ったけどそれは視野が狭かっただけで、
こっちの角度から見たら実は幸福だった」
こっちの角度から見たら実は幸福だった」
という死角が、どんな出来事にも必ず存在するんじゃないでしょうか。
ヤギはヤギとして草を目標として生き、
トロルはトロルとして狩りをして生きればいい。
植物はただそこに生えてればいい。
トロルはトロルとして狩りをして生きればいい。
植物はただそこに生えてればいい。
それぞれが自分らしくいることで、世界がバランスを保つはずだから。
たとえ敵に見えても
役に立たないものなんてなくて
完全な無駄もなくて
見えないところで
誰かを幸せにしてるかもしれないよね・・・✨