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四肢欠損(切断)とは?つづき

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 つづきです。

 

前回の記事

aryoshka.hatenablog.com

 

 

この豚野郎!!と言いたくなるのはわかりますが、ちょっと待ってください。

(この言葉前にも書いたな?)

 

四肢切断という空想を好む人は

少年少女を虐待して自分だけの性奴隷にしたいサディストではなく

切断される側に自己投影している可能性もあります。

 

もし自分が切断されたら・・・とはどういうことなのか?

これは漠然と頭に浮かんだだけで、憶測にすぎませんが

私はこのように考えました。

 

 

 通常の社会では、 お金=労働の対価 という概念がありますが、

この図式がときには愛にも適用され、

当人が意識しているとしてもしていないとしても、

 

愛=努力や労働の対価

 

という概念を持っている人たちもいます。

 

「無償の愛」という言葉もあるように、

愛とは本来、給料ではなく褒賞でもなく

対価としてもらうというものではないはずなのですが

愛が無償だと信じていない

または信じたくても信じられない人もいます。

 

そうなるのはなぜかというと、

背景は人さまざまだと思いますが

たとえば、子どものころ両親に余裕がなくて

日頃は邪魔だとかうるさいとか冷遇されている

しかし、家事をするとか、学校でいい成績をとったとか

何か大人が喜ぶことをすれば、

そのときだけ注目され、とても褒めてもらえる

というようなことがあると、

その子は、「愛とは労働の対価なんだ」と学習するでしょう。

 

そして大人になると、仕事中毒とか過剰に気を回して働いてしまうとか

彼氏ができたらやたらと尽くしまくる女になるとか、

あいかわらず労働の対価としての愛を得ようとして、

疲れ果ててしまうかもしれません。

 

そこまで極端ではないとしても、

ただの友人には求めない多くのものを、

恋愛の場面になると 女は(男は)、恋人とは、こうするべきだ

こんなことをしてくれて、このように行動すべきだ

ということを言ったり考えたりしている人はたくさんいます。

 

たとえばですが

ある女性がフルタイムで働いて、自活していたとします。

仕事で疲れて帰ってきてさらに家事もして人間らしい暮らしを保ち

休日は泊まりに来る彼氏をおもてなし。

多少無理してでも独身者としての労働をこなして、

めでたく結婚したとすると今度は

仕事と家事の他に子育てなどと

さらに多くの労働が発生してきます。

 

このように、世間一般に常識的だとか

大人として当たり前と言われる人生を送ろうとすると

それは労働の連続です。

女の子は、周囲の大人たちや、年上の女性を見てそれを知っています。

 

四肢欠損というファンタジーは、

この「労働の対価としての愛」

という概念をひっくり返します。

 

四肢を切断された少女もしくは少年は、もう労働できません。

性的な意味で使役されているのではないか

といえばそうなのですが、

四肢欠損では、自分から積極的に性的な奉仕をすることはできません。

ただひたすら受け身な立場で愛玩されるだけになります。

 

それは自分を愛する相手が「おまえは何もしなくても良い」と言った

というだけの話ではなく、

もう他の誰からも、期待されることはありません。

彼(彼女)に労働が不可能なことはもはや一目見て明白なので

ただ同情されるだけ

「生きてるだけで偉い」という状態になります。

 

本当は、手足があろうとなかろうと

すべての人は「生きてるだけで偉い」でいいのです。

何もしなくても、何もできなくても愛されてもいいのです。

 

愛が労働の対価でしかないのなら、

赤ちゃんやお年寄りや病人は愛される価値がないことになってしまいます。

 

いや、乳幼児は「将来労働力になるから」高齢者は「かつて優秀な労働力だったから」愛情や世話を受け取ることを許されるのか?

 

でも、じゃあ、優秀な労働力だった時代がほとんどないような年で切断され、今後の可能性も絶たれたら……?

 

その子は、周囲からの期待や、労働力の交換というこの社会構造から永遠に無関係な別次元へと脱出をとげるのです。

 

育ち方や、学校や社会の影響で

「労働の対価として愛を得る」

という概念に慣れてしまった(でも疲れた)者にとって

「積極的な労働どころか一人では生活さえままならない状態になってしまったのに、それでもなお熱烈に愛され求められ続ける」

というのは びっくりするほど斬新で、信じられないくらい甘くて

でもちょっと罪・・・

 

そのままただ甘やかされたりしてたら

もうあまりに羨ましすぎて見ていられないから、

何かの代償を払わせたい・・・

それで、切断された子をさらに拷問するとか罰するといった、過激な表現になる人もいる・・・のか?わかりませんが、

 

四肢欠損の絵に描かれる少年たちは

切断という大きな代償を払って、

無償の愛を手に入れた(その存在を証明した)勇者であり

勤労賛美という価値観から解き放たれた天使なのです。