Fish & Paintings Diary

アクアリウムとアクリル画

人は、身近にネタが無くてもなんとかして怒るし怖がる

変な話に見えるかもしれないけど

あるときふと思ったことを書き留めてみます。

 

腹が立った時、ついつい

「あの人が〇〇だから悪いのよ」というような

「自分が正しくて相手がひどい人」であると思いたくて

ごちゃごちゃ理屈を考えてしまうんだけど

 

「そういうのをいったんやめてみなさい」

と書いてる作家の先生方がいるので

やめてみました。

 

ごちゃごちゃ考えてしまうのはたぶん

怒っている自分に対して、

「大人げないんじゃないか」とか「心狭いな」とか

どこかで罪悪感がある。

だからなんとかして「あいつが悪い」にしてしまいたい。

それか、悪者になりたくないとか、反撃されるのが怖くて言いたいことも言わずに我慢しているとき

小心者の自分にも腹が立つけど、同時に

「このくらい常識でしょ。こんなこともわからないあいつが悪いのよ」てことにしておきたい。

とにかく「私は正しくて相手が悪い」ということにしたいからなんですよね。

 

そこで、まず「怒ってもいいんだ」と

腹が立ってる自分にOKを出す。

すると、確かに

自分を正当化して相手を悪者にする必要がなくなる。

 

私がワガママでもいい、心狭くてもいい

理由なんてどうでもいいし、

どっちが正しいかもどうでもいい。

 

ただ怒る。

「ただただ怒ってる」

理屈もつけない

何も考えないで無心に怒る

 

そういう状態になってみました。

 

そうしてただ怒りを感じてみると

 

どうも、怒りとは脳の状態ではなく

身体の状態なのではないか?

と、ふと思ったのです。

 

ちなみに、脳というのも結局は体の一部であり

臓器の一つにしか過ぎないのですが、

だから「うつ病は脳の風邪です」なんて表現する先生もいるわけですが

感情って、なんとなく「消化不良」とか「便秘」みたいなものとは違った

もっと別の、より高等な?ものだと、思ってしまうんですね。

 

でも怒りをじっくり感じてみると

 

その怒りの発端となった出来事以前にまず、

「怒りたい私」がいるような気がするのです。

より詳しく言うと

「怒りを感じることを必要としている私の身体」というのか?

 

空腹で歩いてるとき、屋台で焼き鳥売ってたら

つい買って食べてしまいますよね。

 

それと同じような感じで、「怒りたい私」がまずいて

そこに何かの出来事がやってきたので

その出来事を燃料として使い、怒りの炎を燃やすのです。

 

つまり、出来事自体は、ただの材料か燃料でしかないのです。

 

満腹のときドーナツ屋があってもスルーするように

「怒りたい私」という状態になっていない時は、

その出来事も拾わずにスルーするだろうし

そもそも目にも入らなかったりします。

 

でも私の身体が「今から怒るぞ」と決めているときは

小さなことでも火種になるし

もし何もなかったら、記憶の中から怒りネタを引っぱり出すという

最終手段を使ってきます。

 

「思い出し怒り」というやつです。

私はこれ、よくやります。

 

ある意味、

現時点にネタがない=今が平和

な証拠なんだけど

とにかく体には、そうまでして怒りが必要な時があるようなのです。

 

なぜ人の身体は、怒りを感じることを必要とするのか?

 

これをたとえば、怒りではなく恐怖に置き換えてみます。

 

私は怪談話やホラーが好きです。

 

普通に生活していれば、命の危険もなく恐怖も感じることがない

きわめて恵まれた平和な環境で生活しているにもかかわらず

というか、普段の生活の中に恐怖のネタがないからこそ

架空の世界にそれを求め

マンガや映画を見たりお化け屋敷に入って行ったりして

わざわざ、自分で自分に恐怖や不快感を与えるのです。

 

何の番組だったか忘れてしまいましたが

あるときこの心理を、医者だか博士だか?出てきて解説していて

それによると

 

「恐怖の感覚は、長い間感じないでいると退化してしまい、

本当に怖がるべき時に怖がれない不感症になってしまう。

しかし恐怖は、人が危険を回避するための大事なセンサーなので

わざと、時々お化け屋敷などの怖い場面に自分の身を置く。

そうやって恐怖の感覚の退化を防いでいるのではないか」

ということでした。

 

芸能人に夢中になる人についても同じようなことが言われます。

適度なトキメキは人の脳を活性化して健康にします。

日常にトキメキのネタがないときは、芸能人で埋め合わせたりする

というわけです。

 

恋愛映画でもホラー映画でも

それを観る人は、それがエンタテイメントであることを

はっきり認識しています。

「私はビックリしたり怖がったりしたい」

「私はイケメンを見てトキメキたいのよ」

と、自分で自分の目的をわかっています。

 

しかし、「怒りを感じたい人」は違います。

「怒りたくてネタを探してる自分」が最初から存在していると知りません。

日常の中に怒りネタがなければ、まずテレビやニュースを見て

犯罪や社会問題や政治問題の中から怒りネタをゲットしてきます

(まれに、恐怖ネタをそういうところからゲットする人もいます)

 

そしてその人たちは、それがエンタテイメントであることを認識していません。

自分がしているのが、感情の空腹を満たす行為だと知りません。

 

そこに、一種の悲劇があります。

 

これは、あんまり言うと本当に怒られちゃうので置いといて・・・

 

 

「この出来事が(この人が)自分を怒らせた」と思うと「あの〇〇が悪い」になっちゃうんだけど

逆に、

「怒りも恐怖も人間にとって定期的に感じることが必要な感情で

自分の身体がそのネタを探してるところに格好の燃料が転がってた」

とも思えるのです。

 

 

 

ネコじゃないの メスライオンなの・・・

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photo by ありしゅ

 

 

 


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