Happy Fancy Arts

創作ファンタジーイラストとアクアリウム

追記・・・その後のこと

予約投稿したりしているので時差がありますが

 

↓これの後の出来事ね。

aryoshka.hatenablog.com

 

 
猫が発作で倒れて臨終のように見えたものの

その後、歩けるようになり

奇跡か!?というくらい元気な日もありました。

 

自力で水を飲んだり猫缶を食べたり

話しかけると返事をしたり

家の中を移動すると、追いかけるように後をついて来たり・・・

 

でも先日 遠くへ旅立ちました。

 

 

ひきつけを起こして倒れているのが見つかってから

ちょうど一週間後くらいでした。

 

一度ノラになっていたのを家猫にしたので

フラフラになっても 外へ逃げ出そうと狙っていたし

どこかに隠れて逝きたかったようですが

外と言っても公園とかしかないので

そこは諦めてもらうしかなかった。

 

先週 種をまいた猫の草が

ちょうど食べごろになっていた

気温の上がった土曜日から

急に冷え込んでしまった日曜日の夜のこと

誇り高い猫で

最後まで自力で歩いてトイレに行こうとしてた。

猫トイレの前で力尽きて倒れ

そのままお別れとなりました。

 

 

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万が一検索で来てくださった飼い主さん

いるかもしれないので

小さいことを書きます。

 

こんなに短い間だったけど

それでもやっぱり

じぶんちの子が発作等で苦しむのを見るのは悲しいし

夜中に何度も起こされたりするのもしんどかった。

 

なるべく素早く 苦しまずに逝って欲しい

それが本音。

その気持ちは その時になってみたら

「なるべく長く一緒に居たい」という気持ちよりもずっと大きかった。

 

なので、野蛮だと思ったこともあったけど

安楽死という選択もアリなんだ と思うようになりました。

うちはたまたま その必要がなかっただけ。

 

世の中には大ベテランの飼い主さんもいるので

こんなふうにすればまだ助かるかもしれないとか

自分はどんなに手厚く看護したか

どんなに治療費にいとめをつけず手間暇をかけたか

言ってくる人もいると思います。

 

時間的にも体力的にも相当余裕がある人なのだろうと思いますが

そんなの 誰もが同じようにできなくて当たり前。

引け目を感じる必要なんてなくて

あなたは 自分にできる範囲のことをすればいいと思う。

 

☆  

 

才能も人さまざまで

介護が上手で得意 という人がたぶん存在する。

その人たちは「倫理的にそうしなきゃいけないから」じゃなくて

本当に好きで(単にネコが好き、とはまた違う意味で)

介護や看病に やりがいや生きがいを感じているんだと思う。

 

助けられているのは、お世話されている子たちじゃなくて

むしろその、看病が大好きな人の方かもしれない。

 

その人が心から必要とし、引き留めるから

その子たちは 苦しくてもまだ生きてくれているし

 

逆に、その子がまだ生きたいと望むから

そういう人間を引き寄せる。

 

精神世界では、そういったことは

持ちつ持たれつ といいます。

 

 

私は看病なんてぜんぜん得意じゃないし

そういう形で他の人や他の生き物の役に立ちたいと願ったこともない。

 

私の魂は そのクラスタには属してない。

 

でも、どんな人でも

どちらかというと女性に起こりがちなことだと思うんだけど

看病に没頭することが逃避になっていないか?と

本当に相手にとっても望ましいことなのか?と、

命を長引かせることができてしまう時代だからこそ

時にはストイックに

自分に問いかけてもいいと思う。

 

 

私は あえて

握りしめそうになる手を離した。

 

猫の方も。

 

たぶん お互いに手を離した


そのとき 死が成立したのです。


ああ 死って「合意」なんだ・・・

 

それを目の当たりにした気がした。


死は「襲ってきて奪う」ものじゃない。

案外やさしい。

人と猫と 双方の希望をくみつつ

気遣いながらそっと摘み取るような感じで

あの子を遠くへ連れて行った。

 

 

今の時代、人でもペットでも病院で死ぬのは当たり前のことだし、

そっちの方が良いという場合もあると思いますが

 

私は最後の時まで一緒に居られて幸せだったです。

 

ただ猫自身の望みとしてはたぶん

どっか戸外で隠れて逝く>>家>>病院

だったと思います。